岡倉天心「茶の本」から学ぶ日本の美徳(前編)   

「黄色い猿」「愚かで野蛮な国」。
これらは、かつて西洋の人々が日本や東洋に向けた、嘲笑の眼差しです。 しかし現在では、日本の文化を知りたいと、欧米からも多くの外国人旅行者が日本を訪れています。
その転換点の一つとなったのが、明治時代の終わりに刊行された2つの著書、新渡戸稲造の『武士道』と、岡倉天心の『茶の本』です。
『武士道』は、武道の指南書ではありません。 日本人の道徳基盤を世界に伝えた本です。
そして『茶の本』もまた、単なるお茶や茶道についての解説書ではありません。 日本人の美意識や、日本人としての精神を世界に知らしめた本なのです。
今回の記事では、山口景史氏訳『茶の本』と、大久保喬樹氏著『茶の本 岡倉天心 一杯の茶に真理が宿る』の内容をもとに、日本、ひいてはアジア、東洋に対する西洋の偏見や誤解に一石を投じた『茶の本』について解説します。
まず最初に、岡倉天心と『茶の本』について概観したあと、
茶道における日本人の精神。
茶室の美学。
そして最後に、岡倉天心が訴えた自然との共生について触れていきます。
この動画を最後までご覧いただくと、欧米の文化だけではなく、日本人として、私たちが大切にしなければならないものは何なのか。 そのことを、『茶の本』を通して学ぶことができるはずです。

3.茶室の美学
4.自然との共生

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1.岡倉天心と『茶の本』

まずは、岡倉天心の経歴について解説します。
岡倉天心は、明治時代に美術運動を指導した文明思想家です。
幕末の開港間もない1862年、横浜の外国人居留地で、貿易商の家に生まれました。 幼い頃から外国人居留地で英語を学び、卓越した英語力を身につけます。
東京大学に入学し、同期には、のちの文豪・森鴎外がいました。
大学卒業後は文部省に入り、文部官僚として明治期日本の美術行政を主導します。
1889年には、アーネスト・フェノロサとともに東京美術学校、現在の東京藝術大学の創設に携わり、初代校長となりました。 この東京美術学校で、のちの日本画の大家となる横山大観や菱田春草らを指導します。
しかし、当時の日本では、西欧化・近代化の流れが非常に強く、日本美術の発展を推し進めようとした天心は、東京美術学校を離れることになります。
その後、活動の拠点をアメリカへ移し、ボストン美術館で東洋美術の紹介・研究に携わりました。 そして、このボストンでの活動を背景として執筆されたのが、『茶の本』です。
天心を理解する上で、忘れてはならないポイントが3つあります。
1つ目は、幼少期を横浜の外国人居留地で過ごしたこと、そしてアーネスト・フェノロサとの出会いです。 この経験から、天心は日本を「外から見る目」を養いました。 当時の日本は、西欧化に邁進するあまり、本来の日本文化をなおざりにしていました。 その状況を外から見る視点を持っていたからこそ、天心は日本文化が失われていくことに大きな違和感を抱き、行動することができたのです。
2つ目は、日本だけを見るのではなく、アジア全体の中にある日本という視点を持っていたことです。 日本の文化や宗教には、中国やインドなど、アジア各地から伝わったものが数多くあります。 そうした国々への敬意を忘れず、より広いアジアの歴史や文化を大局的に捉える姿勢があったからこそ、『茶の本』であれほどの理論が展開できたのでしょう。

そして3つ目は、自分の思想を世界に向けて発信したことです。 幼少期から養った卓越した英語表現力を駆使し、言葉遊びや掛詞など、詩的表現にも似た文章で綴られた『茶の本』そのものが、一つの芸術作品として世界から注目されました。 その後、多くの訳者がこの本の翻訳を手掛けたことからも、天心の思想だけでなく、その表現力そのものが海外の人々を惹きつける発信力を持っていたことが分かります。
さて、『茶の本』は、最初にも述べた通り、お茶の解説書や茶道の指南書ではありません。
全7章からなり、
第一章「人間味あふれる器」
第二章「茶の流派」
第三章「道教と禅」
第四章「茶室」
第五章「芸術鑑賞」
第六章「花」
第七章「茶人」
という構成で、茶には日本文化、そして伝統的な東洋文明の精神が凝縮されていると説く、日本文化論なのです。

写真左:東京美術学校
写真右:アーネスト・フェノロサ


2.茶道における日本人の精神

では、ここからは、日本人が学ぶべき茶道の精神について解説していきます。
『茶の本』第2章「茶の流派」では、まず茶の歴史から話が始まります。
茶の歴史は、大きく団茶、抹茶、煎茶へと発展してきました。 まず、7世紀から10世紀にかけての中国・唐代には、茶葉を蒸して団子状にしたものを湯で煮出して飲む「団茶」が飲まれていました。 その後、10世紀から13世紀にかけての中国・宋代になると、茶葉を挽いて粉末にし、湯に混ぜて泡立てる「抹茶」へと発展します。 しかし、唐代の団茶、宋代の抹茶という中国における茶文化の発展は、元王朝の時代に大きく衰退することになります。 その一方、日本へは、すでに仏教とともに百済を経由して茶が伝来しており、801年には最澄によって持ち帰られた茶の種子をもとに、日本各地に茶園が広がっていきました。 さらに1191年、栄西禅師が宋から茶の文化を持ち帰ります。 その後、茶は15世紀以降、「茶の湯」というかたちで日本独自の発展を遂げることになります。 中国ではその後、茶葉を濾して飲む「煎茶」が発展していきますが、抹茶の文化は日本においてのみ受け継がれ、現在まで残ることになりました。
つまり、茶の歴史は中国から始まり、禅の思想とともに日本へ伝わりました。 そして、その茶の哲学は、侘び茶を経て、日本独自の「茶の湯」というかたちで発展していったのです。

『茶の本』第3章では、こうした茶の哲学の源流である「道教と禅」について語られます。
禅は、老子を始祖とする道教とも深い関わりを持っています。 道教は、儒教、仏教とともに中国三大宗教の一つとされています。 道教における「道」と書いて「タオ」とは、固定されたものではなく、姿を変えながら現れる「移り変わり」を指します。
この移り変わりを、道教では「相対性」と「不完全性」という考え方から捉えます。
そして、これらに共通する重要な考え方が「虚」です。
まずは「相対性」についてです。 ものごとの善し悪しは絶対的なものではなく、その時々の状況によって変わります。 社会が常に同じ状態ではない以上、絶対的な善や悪を法や規範だけで定めることはできません。 だからこそ、自分という存在も、移りゆく「今」と相対的に見つめながら、調整していかなければならない。 道教はそのように考えます。 人生という喜劇の中では、物事の釣り合いを保ちながら、自分の存在を失わず、同時に他人を受け入れることが大切です。 自分が譲ることができ、他人を立ち入らせることができる余白。 つまり、「虚」を持っている人こそが、しなやかに生きることができる。 この「虚」の考え方は、現代の武術や芸術の世界にも息づいています。 剣術では、自分の間合いに相手を引き入れることで勝つことができます。 芸術では、あえてすべてを描かず、作品を見る人が思索する余地を残すことで、見る人とともに作品を完成させることができます。
次に「不完全性」です。 この世界には、完全や完成というものは存在しない。 それを受け入れることです。 逆に、不完全であり、未完成であるからこそ、その先の完成や完全に向かって、無限の可能性が開かれる。 たとえば、器や水差しは、中身が完全に満たされていたら、ものを入れることができません。 空っぽである。 つまり「虚」であることにこそ、価値があるのです。 道教や禅を根源とする茶の哲学は、私たちにこう語りかけているのではないでしょうか。 無限に移りゆく日常という「今」にこそ、美があり、人としての心のありようがある。
写真左:千利休
写真右:老子

続きの「3.茶室の美学」、「4.自然との共生」につきましては、次回、後編の記事に続きます。
乞うご期待ください。